勤務先(うなぎ料理店)繁忙期と同時に子どもたちの夏休みスタート、早くもデッドの二児の母です。
小柄な女で基本的には主婦の身ながら、空手道場という空間に混ぜていただいて10年目を迎えてしまう。10年とはいえ出産を挟んでブランクもあったし、組手などが強かったり何かがものすごく上手いということもなく、マイペースでやらせていただいているのだが、級を得て数年たつともう1つ上の級(新しい型を教わることができる)を目指そうかなという気分になり、それを繰り返していたら黒帯直前の級まであがってしまった。
人生の先輩がた(おじさんたち)が「アザレ先輩」と呼んでくださるのが非常に申し訳ない今日この頃だが、お題にかこつけて、32歳で入門をした当時のことを振り返っておこうと思う。
5年前ぐらいは、当時のことを話そうとすると嗚咽が止まらず、言葉にならなかった。今は、仕事の配属が変わって新鮮な心持ちで働いていることや、子どもたちそれぞれが健やかに成長を続けていることや、仕事先の方々や稽古生の方々や家族、そういった多くの柱に支えられ、また経過していく時間のやさしさもあり、穏やかに向き合えるようになってきたと思う。
生まれながらに問題を抱えていて外へ遊びに行きたがらない幼い息子と、2人っきりの事務所で働きそのまま家へ帰ることを3年間繰り返した結果、
32歳のわたしは昼な夕なカクテルを自作しては呑み、幸福感を求めてデパートをベビーカーでまわってはカジュアルで高い服を買い、社会人時代に折角貯めてきた自分の貯蓄を喰い尽くしかけていた。自分がヤバそうなことは気にならず、狭いままの世界で暮らしたい性格の子どもと2人きりで生きる毎日がひたすらつらかった。
その頃、世界が怖くて仕方がない息子が唯一ベビーカーから降りてくれる、近所の小さな公園を通ると、植栽に埋もれた小さな掲示板にまた小さな3色印刷のポスターが貼られていた。誰も見向きもしないようなそれが、今通っている空手道場の入門案内だった。
「あのポスターを見つけて入門してきたのは、君だけだよ」
と現在の空手の先生はお笑いになったけれど、転機というものは、ドラマティックに訪れるというよりはこうやって日常の中でささやかに待っているものかもしれない。
近くに空手道場があるんだ・・・と思ったら、大学時代に小さいながらも楽しかった空手部の稽古や仲間たちのことがしきりに思い出された。昔から運動がひととおり苦手で文科系部活ばかりだった割に、空手の稽古は在学中続いたことに気付いて、沼底に淀んでいた心が動き出した。
「身体も心も限界だから、本気で鍛え直さなければならない」
とだけ真摯に夫に伝え、夫が居る夕方に大人の部の稽古があることも突き止めて、子どもを夫に小1時間みてもらいながら稽古へ出向いた。
おそるおそる出向いた最初の体験日に、今思えば滅多にいらっしゃらない女性が稽古にいらしていた。後から聞けば、そのかたは子どもの頃から成人になるまで稽古を続けてきた稀有な黒帯だった。生後まもない赤ちゃんを連れていて、ひっくり返したビッグミットへその子を上手に乗せてご機嫌にしておいてから、離れた場所でサンドバッグを殴っていらした。
また、のちに大先輩と呼び目標にすることになる女性も、少しだけ顔を出していらした。
その日、わたしはちらっとだけ見えた彼女を自分よりずっと年下の独身だと思い込んだのだが、あとあと、彼女は自分よりも年上で、中学高校のお子さんを2人も育て終わっていることを知る。
「赤ちゃんがいても、空手の稽古は出来る」
「空手と美しさは、共存が可能である」
そしてトドメに(?)、当日初対面であったわたしの先生は、わざとくだけたお話し方で、最後にこんな一言をくださったのだった。
「あのねえ・・・すごく怖い顔で稽古をしていたけど。
そんなに、気張ること、ないのよ?」
当日はなんとなく感じた程度で終わったが、こうして改めて書くに、わたしは稽古の初日でもう答えを得てしまったのである。
深層心理について素人が述べるのはいかにも陳腐で避けたいことだが、とにかくその日に道場への入会を決めたわたしは覚悟というより、落ち着きを得ていたように思う。それからは義務感もなく稽古に出たし、楽しんで打ち込んでこられた。稽古を休まざるを得ないような大怪我も一切なかった。それは、先生のお人柄や鍛錬・稽古内容を常に工夫されていらっしゃることもあるし、この道場に通っている方々が「稽古にはなるように、しかし怪我には至らないように」と上手く加減をしてくださっているお陰でもある。
空手の稽古をすると当然ながらしんどく、帰宅後の家事や幼子の寝かしつけを無理やりこなして、時には汗だくの稽古着のままで倒れるように眠った。それでも空手の所作は、じわじわ我慢をする系のヨガ等よりもずっと変化があって好きだ。これまでの文章を台無しにすべく一言でいってしまえば、根がマニアックなのである。
Sponsored by SK-II