ママちゃんは最強漬け。

子どもの発達特性や不登校などの課題に寄り添うママの備忘録

くよくよを解消させる行為とは

昨夜は子どもの用事の段取りを2つもミスって、相当にくよくよしていました。

 

同じ過ちを繰り返さぬよう、息子部屋のカレンダーとリビングのカレンダーに印をつけ、

ご迷惑をおかけしたかもしんない方面に丁寧なメールを出し、ただちに温かいお返事をいただき(夜分にすいません・・・)。

 

内外へきっちり対策を済ませた。そして、誰からも怒られてない。

それでもまだわたしは、ミスしたことをくよくよしていました。

 

「後悔しすぎる」ことは、生真面目さの裏返しであり、生まれ持っての性格なのかな・・・と、それが非常に顕著である息子(小学生)をみていて実感します。

つらさを和らげてやりたくて色々声掛けをしますが、くよくよが激しいときには何を話しかけても心に届きません。ひたすら泣きたくて泣いてる。

 

自分自身の問題としてひるがえって言うと、ポジティブに生きるための手段や、病気にならない範囲における心のゆらぎを落ち着かせる方法についてあれこれ調べたり実践したり色々やってきているのですが、それでも
客観的に見て「現在、たいした問題がいま起きていない」状況であるにもかかわらず、いったんくよくよに傾いた心はなかなか普段どおりに戻らないものです。

その時間差が、つらい。

 

そんなときの対処法として、

「気分転換しましょう」

 「考えすぎないようにしましょう」

なんて言うのはひじょうにカンタンなことですが、それを自分の腑に落としながら実践できるかどうかが重要なわけで。

自分に合ったやりかたが見つからないと、くよくよはなかなかどこかへ行ってくれない。けっこう難しいものだと思います。

 

今まで、

瞑想をしても、お風呂で思い切り泣いてみても、呼吸法を試しても、くよくよは尾を引く結果を得てきましたが

冒頭の夜、「もうやってらんね~!」とランニングに出てみたところ、小一時間程度で気持ちが落ち着いて帰ってくることができました。

 

わたしに何故そんなことが起きたのか、考えてみるに・・・

 

  • 移り変わる風景や通りすがりの人々の中に、ふと気持ちが和らいだり「くよくよした出来事」から思考が離れられるような、新鮮な発見がある
  • 走ると呼吸がはずむ。つまり普段とは違うテンポや強さの呼吸に切り替わることで、全身的感覚での「気分転換」をもたらす(このとき、心はいささか戦闘モード / 高揚している)
  • ランニングからスローダウンしてウォーキングに切り替わると、疲れから解放されて身体が癒され、心にもそれがリンクする
  • 甘えていいよ系・なぐさめ系の曲を聴きながら走ったので、「責められていない悪くない自分」という自覚が根付く

 

移動しながら全身運動することで、色々な方面(視覚・聴覚といった五感、肉体、メンタル)に、いっぺんに刺激を与えていたわけですね・・・。

なにそれ、ちょっとしたドラッグみたいやん。

少し前のくよくよが吹っ飛んでしまうのも、なんだかうなずける。

気持ちが「戦闘モード」に切り替わることも、自分には合っているのだと思います。

 

ちなみに空手の稽古においても、終了時には「悩んでいたことがどうでもよくなっている」ことがしばしばあります。

 

空手はすべて道場の中でやりますから、「空間的移動のない全身運動」である点がランニングとは大きく異なります。

道場では先生や稽古生と一緒に型や基本所作を行っていることが多いのですが、ひたすらその動きを上手にやろうという「思い」ぐらいしか頭にはありません。

難しい思考はかえって邪魔になります。正確にお手本の動きをトレースすべく、集中しています。

 

普段の出来事から完全に気持ちが離れる点がいいのかな、と思います。

 

そういえばママ友に編み物が好きなひとがいて、ちょっとした空き時間を見つけては、ひとつかわいらしいものを完成させてきます。

彼女の編み物もまた、「深く考えずに身体が動いて、集中する」行為のかたちなのでしょう。

 

ああそうだ、気持ちを切り替える手段として強烈なものに「大好きなお菓子と、それにばっちり合う飲み物を用意する」ってのもあるんですけど

あれはそれなりに準備に手がかかりますし、ごちそうさまをした途端にくよくよが戻ってくることもよくありますからね。

ドラッグとしては効き目が短い。コスパわるい。