夏はうなぎ料理屋の手伝いと家族サービスに全力投球。
昨夜は、1か月近くご無沙汰した空手道場にようやく足を運ぶことができた。
わたしは家で空手の自習を殆どやることがない。できない。
(ものすごく面倒くさがりなこともあるし、稽古は基本的にとても集中するものなので、子どもたちが居るのに完全に彼らをそっちのけにするのは、それが短い時間だったとしても母親の生き方としてどうしても違和感を覚えてしまうのだ)
そこに加えて、ここ数年は筋肉に頼らない武道寄りの稽古を積みはじめていて、これがものすごく難しい。積んでも積んでも、ほんのちょっとやりかたを間違っているとなんの成果も出ない。
(筋トレやパワー頼りの運動は、すぐに効果が出るから気分的にはすごくハッピーでラクだ)
そういう状態で久しぶりに稽古を積んでみたら、やればやるほど「理想の動きかたが全然できてない、どうしたらいいかも分かってない未熟すぎる自分」と対峙することになった。
どうしよー、数か月後には昇級しようと思ってるのに。
自分以外の稽古生は男性かつ人生の先輩ばかり。そんな中小さい女がひとりで加わって、手加減していただきながら組手の輪に混じったりしているんだけど、
「これまで飲みに呼んでいただいたりしたぐらいで、こんな下手クソな自分が勝手に仲間意識を持ったりしてすいませんでした」
というのが、稽古直後の正直な感想だった。
ビジネスマンの稽古生も多い。着替えて帰ろうとすると、仕事帰りに道場へ駆けつけたときのパリッとしたシャツにプレスのきちんと入ったスーツを、汗だくの顔と体でもう一度まとって帰ってゆくかたもちらほらいる。
片手には重そうな営業かばん、もう片手には汗で重くなった道着の入ったかばん。
出るタイミングでたまたま、そんなおひとりと、道場を出るまでに談笑した。
「(会社で持たされる)PCが重たくて、営業かばんのほうをコンニャロー!!!!!って放り投げたくなる」
って笑っていらした。
「稽古のあとで、ちょっと離れたスーパーであの美味しいヨーグルトを買ってきて」
と家族に頼まれていた。
夜9時に、道着とサポーター(防具)と飲み物が入った大きなリュックをしょった状態で、わたしは走りだした。普段は走らないし、走るとハアハアするのがヤダ。
気づいたら身体がとにかく軽くて、あっという間にスーパーまで信号以外はノンストップで走ってしまった。疲れもしない。到着してスッと立ち止まると、息も切れなかった。
今夏は空手の合宿だけにはどうにか行くことができて、そこでもちょっとだけ夜に缶チューハイ片手におじさん達と語り合う時間が持てたんだけど、
みなさんそれぞれ、なにかしら大変なことがあったりして、(意識の大小はあれど)それを乗り越える手がかりとして稽古に足を運んでいるケースは多いように思う。
稽古では自分の力を尽くすことで、身体は疲れるし、自分みたいにガッカリすることもあるんだけれども
限られた時間の中でやりきった充足感が、それぞれの背中を後押ししている。
そこに関しては、わたしも他の稽古生とおそらく同じだ。