せんの週末は家族にいっぱいおかずを作り置きして、空手の合宿に行ってました。
園児と小学男子の母です。
比較的ラクな、型を学ぶクラスに参加したものの、その前の全員稽古では
普段やらない腕立て伏せやスクワットをやったので少々疲れが出ました。
それぞれを、体(特にヒザ)の負担を軽くして乗り切るコツがあると教わってきたので、また別に書こうと思います。
さて
合宿疲れが引いた今日はお昼の稽古クラスにゆき、武道的な所作 - 長いあいだ太極拳みたいにちょっとずつ動くようなことをやっていました。
すごく地味だけど集中しきっていることも相まって、あとからガックリ疲れが来る。
そんな体を引きずるようにして夕方は、近所へ子どもたちと借りた本を返しに出かけたのですが
ほんの少しのにわか雨。
なんとかなるかな~と思ってたんだけど、建物を出て帰ろうとした頃にはけっこうな降りになっていました(お出かけあるある)。
出かけ先のスタッフさんへ、「うち近所なので、みんなの傘をとりに行ってきたいから、10分ほど子どもたちを預けさせていただいてもよろしいでしょうか」とお願いしたところ快諾をいただき、
雨の中 ダッシュ。
おうちからは傘さして子ども用の傘2本もって(持ちづらい!)ダッシュ。
ちょっと体力ついてたのかな~良かったな、と思ったのだけど、
夕食を作りながら気絶しそうに疲れてる自分がいて
「なんでいま、こんなんなのに空手を続けてるかな・・・?」
と考えていました。
ただ単に体力つけたいだけなら、別に空手じゃなくてもいい。
ヨガ系とか、歩くとか走るとか、ジムとか。
そういえばこれらの習い事やトレーニングは若い頃からちょっとずつかじったりチロチロ舐めたりしてきて、挫折してる。
これらに共通したものは、・・・孤独感だったなあ。
今お世話になっている空手道場の
「全員が、出会い頭から、押忍!って挨拶する」心構えは、
(ちゃんと挨拶しろ、っていう厳しさでもあるんですが)ジムでひとりもくもくと走っていた頃の孤独さとはまったく異なる。
ママ友作りにも励まず同世代の女性たちとのささやかなお付き合いに不慣れだった、一人目の子が小さかった頃のわたしは
道端で向こうから近所のママさんが歩いてきたときのような「一度どっかでお会いしたかただったかしら?」といったもやもやする気兼ねを
道場では一切しなくていい、
ここにいるひと全員に、堂々と挨拶していいんだ!
ということが、まるで朝起きたら青空が見えたときのように、はればれと嬉しかった。
せんの合宿では、同じ級の稽古生の方々と一緒にずっと稽古して、遠くの支部とかの色々なおじさんのともだちができて楽しかったなあ。
今度みんなで都内レストランの「ステーキ食べ放題」に行きましょう!って話になって、それがすごく楽しみ。
今の先生に教わることも、すごく面白い。普段の出来事に必ずつながるから。
きょう型を教わっているとき、先生曰く
「どんな人にも、クセってものがある。
今教えている古伝の型は、人のクセや思いこみやおごりを少しずつ削り取って、すっきりした形に持っていくものです。
ただ筋肉つけたいならね、筋トレでもなんでもやったらいいじゃない。
だけど力に頼ったら、いつか怪我するし、そのあと挫折するよ」
そんなあとに、夕方の出かけ先で「暗殺教室」というスゲーおもしろい、いや~最近の少年ジャンプもいい漫画でてるね、という漫画の最新刊を読む機会があって、
そこに 自分の思うとおりにならない子どもに対してキレる母親が出てきたから。
空手習う前のわたし、そうなりかけてた。
先生「稽古は、日常に活かしてこそ だからね」
今は、自分や相手の挙動を俯瞰して瞬時に動く稽古のおかげで、割と落ち着いていられる。
むかしは会社員仕事・家事・育児を完璧にやろうとしていたけど、自分が疲弊するような頑張りすぎを、ちょっとやめられるようになった。
ガチガチじゃ、ちょっとした衝撃でパキッと折れる。
自分の心を、ちょっとずつゆるめることができるようになった。
そういう新しい心がけは、たまたま出会った先生が、筋肉つけて力任せに殴る蹴る系統をやめて、姿勢から体や心の芯をつくる古伝武道の勉強を始めなさったおかげでもあるんだけど
稽古を地味に積んで、積んで、何年も「力を抜かないと動けないよ」って自分の体に言い聞かせることで、
わたしにはようやく身に沁みついてきたんだったよ。
ちなみに、子どもたちと傘をさして建物の外へ出たら、雨はだいたい止んでました(お出かけあるある2)。
あぁ・・・また、頑張りすぎたね。
絵にしてよくわかったけど、ダッシュしてたときのわたし、
傘の模様以外は ホントに怖い人だったね。