かりかりにかわいたせんたくもの
とりこんで
とりこんで
とりこんで
とりこんで
わたしはどのように生きていこう と
ゆげにたつかおりでめざめる
※今週のお題「母の日」
万年筆インク画家です。
連休中のおうちデー、子どもがじっくりと楽しくおうちで取り組めた製作モノ有り。
うまいこと1日つぶせましたのでご紹介します。
久しぶりに無印良品を眺めに行ったんですけど、キッズのコットンスニーカーがだいぶ良かったのです。つまさきが広くて紐はゴム。なにより子どもが「白いほうを買ってこれに絵を描きたい!」と言い出しました。
たまたま昔買っておいた布用の絵の具にて、うまくいきました。ぺんてるの布描き絵の具だと、水でぼかして描くこともできますし、一度乾けばにじむこともありません。
布に描くための画材って今はいろいろあるんですね。「布用」で検索してみると、絵の具だけでなくマーカーやクレヨンまで見つかりました。
このシューズのシリーズにはスリッポンもあります。マーカーで線画とか文字を描いたら、かっこよく仕上がりそう!
サイズが21センチまでしかないのが残念なぐらいです・・・
一応、完成後に撥水スプレー(靴屋さんとかに売ってます)をしっかりかけました。
よく考えると、このキャンバス地がそもそも撥水効果をうたっており(てへぺろ)、小雨に降られたときにちゃんと撥水している様子が見受けられました。
「おかあさんがよくかいているねこがここに入らないと、このくつは、かんせいしないから。」
と言われ、いつもの青線でねこを描いてあげました。
子どもは大好きなモチーフや色が詰まったシューズがとても気に入っていて、お出かけが超楽しそう。子どもの好きなものを描いてあげてプレゼントするのもいいですね。
無印良品は、シューズに限らず無地のアイテムをたくさん売っているので、紙以外の素材に描ける画材も一緒に売り場に置いといてくれたらいいなぁ。
布用に限らず、陶器用とか~。
万年筆画家です。フランス額装といって、薄手でシャレオツな(自分で言ったら負け)額の研究もしています。
自分の作品をフランス額装仕立てにするのを続けていたら、「自分のこれも同じように仕立ててもらえないか?」というご要望を、仕事として承る機会に恵まれました。
ご依頼主の許可をいただいたので、ユニークで洒落た今回の依頼作品についてご紹介します。
その地では有名な、老舗バーのショップカードだそうです。
名物のマスターは豪快洒脱なかたで、還暦のお祝いにバラのタトゥーを入れたとか、店内入り口はラメの入った赤いびろうどが壁に貼られているとか、自分のような小心者には胸のすくようなかっこいいお話ばかり。
そんなマスターが少し前に亡くなられ、営業が続いていたバーもいよいよ閉店が決まったということで、ご依頼主と相談を重ねながら、マスターやバーの思い出をこういう形に仕立ててみました。
カードの周囲には、上記の壁を彷彿とさせるようにラメ入りの赤いサテン生地を選びました。しっかりとキラキラさせるべく、日本絵具の「青金」を(にじまずいい塩梅にスプラッシュする濃さに水で溶く実験を重ねてから)ピッピッと布地に跳ねさせたところなかなかにROCKなゴージャスさが出て、亡きマスターの雰囲気に近づいたように思います。
ご依頼主のご要望で、カード下にはこのバーの営業年を紙でつけました。
カードの文字や背景生地に馴染むよう、文字はカードのものと似たフォントをワインレッドで印刷し、手持ちのブラウン系万年筆インクでヨゴシを入れてアンティーク感を出しています。
裏は、黒いカードに合わせて黒を選びました。金の縁取りが映えます。
通常のフランス額装だと、縁取りは黒やダークカラーで締めることが多いです。
しかし、亡くなられたかたとお店のメモリーとはいえ、湿っぽいものにするのは今回なんだか違いました。それに、黒系で縁取るとまさに遺影のようなイメージに寄ってしまって、余計に悲しい気持ちになってしまうだろうなと考えられました。
金色で縁取ったことで、亡き人を偲びつつも背筋がシャンと伸びるというか、
「ああ、あんな豪快なかたもいたなあ」
という、力強くて前向きになれるような思い出の品にすることができたように思います。
今回の色指定はだいたいの構想をご依頼主が持っていらして、その素晴らしく洒落た構想に乗っかりつつ、(これまでは紙だけで仕立ててきましたが)布地という新しい素材で研究を重ねて提案に持っていったステップは自分にとって新しい冒険となりました。
テストや失敗もずいぶんあって、でも「折角がんばったから」とかいって要素を入れすぎることなく、比較的シンプルにまとめられて良かったです。
ご依頼主は気づけば長年お付き合いさせていただいているかたで、美意識というか美センスがカミソリみたいに尖っているかたにつき、完成品ご提出の際にはビビらざるを得ませんでした。完成品をお見せして凝視されているときもビビッていましたが、
「あー、うんうん。よくできたんじゃない?」と言っていただいて物凄くホッとしました。ε-(´∀`*) (笑)
※creema で作家登録をはじめました。他の作例も掲載しています。
https://www.creema.jp/c/momokei/item/display
万年筆インク画家です。
台風だとか地震が続いています。自分のところもけっこう強めに台風が来たのだけど、もう連絡をとることがないかも知れなかった遠方の知り合いから、「大丈夫だった?」とメールが来たのでした。
とても嬉しかった。
それから、コミュニケーションはまた少し続いた。
東日本大震災のときに作られた応援ソング「花は咲く」の歌詞では、
花は咲く
いつか生まれる君のために
なんて言葉がある。今回のやりとりでわたしは思った。
人間が咲かせられる「花」、それは、あたたかなねぎらいのコミュニケーションだ。と。
この歌詞でいうところの花とは、ありのままの花でも良いし、もしかして前を向こうとする人間の笑顔なのかも知れない。そこに、「ねぎらいのコミュニケーション」を足したって、いいじゃないか。
谷川俊太郎さんが「一輪の花のように、一遍の詩が書けたなら。」というタイトルだかなんだったか、そういう言葉をどこかに置いた。
自然のものは貴くて、ただ生まれるままの美しさに勝るものはないんだけど、大きな土地ごとの心配事をきっかけに日本のあちこちではおそらくきっと、たくさんの小さな花がぽっぽっと人間の心の中に咲いていて、日本の土地の全体がそういう花に包まれていたに違いない。
1つ前からの続きです。
自分が【濃くて大きいコミュニティ】ずき・・・というか中毒で、現状は【うすめのコミュニティ】にしか含まれていないことが、暮らしをつまらなく感じさせていることが分かってきました。
ではどうしたらいいか。
よく考えると、気に入っていた【濃くて大きいコミュニティ】には、入社試験を受けたりサークル加入申し込みをしたりして、つまり自分から動いて加わったのです。対して、気に入っていない【うすめのコミュニティ】には、ほぼ受動的に組み込まれたという経緯の差があります。
ということは、よさげなコミュニティを自分から動いて探して、加わりにいけばいいんじゃないですか。
「定年退職後、おとうさんがいきなり趣味探しを始める」問題を他人事にしてきたけど、あれと同じですね。おとうさん今さら一体なにをトチ狂ってんのとか思ってきたけど、あれは凄く理にかなっているんじゃないですかね。大変申し訳ありませんでした。
仕事というコミュニティでは自分がそこのメンバーではいられなくなった・いづらい気持ちになった。そこで、自分からもっと頻繁に関わりあえそうなコミュニティだとか、新しいコミュニティの軸(そば打ちなど)を開拓しているわけです。おとうさん頭いいし、改めて趣味って大切だなぁ~という裏付けになったと思います。
実際に自分がコミュニティを様子見しに出掛けていって分かってきたこととして、濃ゆいメンバーばかりのコミュニティやうすいメンバーばかりのコミュニティってあまりなかったです。こういう感じで、濃ゆい人とうすい人が混在していることが多い。
関わるコミュニティを精査しつつ、気が合う人を少しずつ発見し増やしていくことで、暮らしがおもしろくなっていく可能性が見えてきました。
また、人間関係というものは良い意味でも予測がつかなくて、濃ゆい人を探していたつもりが意外と新しく出会ったうすい人のほうが居心地よかったりとか、手伝い程度に来ていたうすいメンバーが話してみたらとてもいい人でSNSで繋がったとか、嬉しいハプニングも出てきました。
今回、そのコミュニティのもつ共通項(PTA活動とか)に対してアグレッシブかどうかという観点でメンバーのことを「濃ゆい」「うすい」の2つに分類したのですが、その観点以上に、折角みつけたコミュニティを充分に楽しむにあたっての大切なスキルがあることに気付きました。
それはやっぱり、つまるところ、人柄です。
(どうも最近の記事ではこの結論に達してばかりだなぁ)
自分で探し求めたコミュニティに加わっていくんだという話をしてはいますが、なんかフツーのこと話してるだけなんだけど落ち着く人・たのしい人って、逆にもう、どんなコミュニティからもウェルカムされるでしょうね。
「快適にコミュニティを楽しめる人柄」とは、メンバーに対して誠実であることではないか、そして誠実さとは、相手と自分を対等にみるということではないかとわたしは考えています。具体的には、それはこんな態度として現れると思っています。
そういえば、人間関係と幸福度とのからみについては、先日読んだ本
にも書かれています。稼ぐための話をするにあたって、人生をよりよくするために必要なものは「収入」のほかに「時間」「人間関係」で、この3つのバランスを考えて行動すること。
今回、「人間関係」というポイントをどう上げていくかについて、コミュニティという観点から解決案をまとめられたかなと思っています。
今回初めて、前編後編にわけて長いこと書きました。自分はほんとうに長年、暮らしがつまんないことについて悩み続けてきて、いろんな人との関わり合いによって初めて「コミュニティ」という観点を持つことができ、この悩みの根っこが明らかになってきた気がします。
自分がありのまま以上のなんか凄い人にならないと、周りは面白くならなくてだめなのかもしれない、と焦りながら生きてきて、とてもしんどかった。一人で悩んでいて何も解決しない、まさにそういう状況でした。
最初の子育てが本当にうまくいかなくてそれだけで一日終わっちゃうとか事情もあったけど、もっと早く、面白い場所を見つけに自分から歩きだせばよかった。「自分に合うコミュニティを持つ」という発想が、同じように悩んでいる誰かのお役に立てれば、とても嬉しく思います。
絵作品を作りながら、母業をやっています。きょうは秋雨、傘をさしながら。
社会人ほやほやの頃はIT系に勤めていました。それから約20年経ち(!)、先日、自分の身内とその先輩方が同じ会社へ転職。彼らの部署はバラバラで滅多に会うこともないけれど、わたし+身内+先輩方で、ノリで集まってみることに。
すると、それぞれの今やっていることの話や、これからのチャレンジの話がスパーク。かるい相談から部署を超えて連携しようって話に発展したり、会社外の自分が聞いていてもひじょうに面白かったのです。話を聞きながら、
「人と人が出会うって、まるで化学変化だなあ!」
と感じていました。
ご縁あって、コミュニティビルダーという新しいおしごとをしている方々の活動をよく目にしています。ずっと前にトークイベントを拝聴にいったとき、フリータイムで他の拝聴者の方々が名刺を交換しまくっていて、
「こうして傍観していると、皆さん、つながりを求めていますね~」
とコミュニティビルダーはわたしの横で満足げに語りました。イベントをきっかけに色んなつながりを作るのが、彼らのお仕事の醍醐味のようです。
このときは、ん~そうですか、としか言わず、自分も「つながりを求めている」とはあまり考えていなかったのでした。
しかし、遡って何年も前から、暮らしも職場もだいぶつまんないという悩みを持ち続けていまして。
上に書いたIT系の人たちは、あぁ、現在の自分とは離れたコミュニティ(会社)にいるんだなぁ、とひとつの輪を俯瞰しているように見えてきました。
そして、1コミュニティの中にも複数のコミュニティ(部署)があり、それがつながったら新しいことが生まれる現場を、目の当たりにしたことから・・・
自分の暮らしがつまんない理由は、自分が今いるコミュニティ(つながり)に満足できていないからだ。さらに言うと、好きなコミュニティと現状のコミュニティにギャップがあるからだっ!と急にひらめきました。
人に性格があるように、コミュニティにも「濃さ」「大きさ」に応じて性格があるんじゃないですかね。勝手にコミュニティの分類や性格の可視化をしてみたら楽しくなってきたので、以下にまとめてみることにします。
ここでいうコミュニティとは、組織あるいはひとつのテーマ(趣味ごとetc.)といったひとつの共通項のもとに集まった人たちのグループ、という感じです。
若干極端かもしれませんが、経験から「メンバーが濃ゆいかどうか」「人数が多いかどうか」の2指標をもとに、コミュニティは4タイプに分けられるように思います。
濃ゆいメンバー とは、
といった、そのコミュニティを活性化させるようなアクティブな性質を持っていること、と定義してみます。うすいメンバー はその逆で、「静的に、ただのんびりとそこにいる」感じ。
なお、以下の各コミュニティに優劣はありません。ただ、それぞれにそういう性格があるというだけです。
【うすくてちいさいコミュニティ】
お互いがゆる~くしか繋がっておらず、人が少なめ。
めちゃくちゃ盛り上がるというよりはのんびりムード。茶飲み友達のよう。集まろう、っていうモチベーションが低い。存続させようという熱はなく、なんとなく集う。それがラク、という嗜好もある。
【濃くてちいさいコミュニティ】
人は少ないが、メンバーが個性的。狭くて深い付き合い。自分の哲学とか語りだす。
一人抜けただけでも雰囲気がけっこう変わる。ほんの少し気が合わないだけでめんどくさい感じになる。
【うすくて大きいコミュニティ】
深い付き合いではないけど、組織としてデカい。忘年会で近くの席になったメンバーとは、まぁまぁ共通事項の話題をしゃべれるかな、ぐらい。それ以外のプライベートにまであまり踏み込まない。二次会にまで行かないでさっぱり解散する。
【濃くて大きいコミュニティ】
各メンバーが共通事項に情熱をもっていて、集まるとあっちこっちで話に花が咲き、めっっちゃくちゃうるさい宴会になる。終始テンションが高くて、集まったあとは充実感も疲労感もある。ついていけなくて、集まりから離脱したり休む人もけっこう出てくる。AKB。
職場やプライベートを含めると、ひとりの人間はいくつものコミュニティに交わりながら暮らしていることもよくあります。この4タイプ中、自分がどのコミュニティが好きなのかを考え、現在交わっているコミュニティに当てはめてみると、ギャップが見えてくるひともいるのではないでしょうか。
自分を例にして、なんで暮らしも職場もつまんないと感じているかというと、
学生時代のサークルや最初のIT職場が【濃くて大きいコミュニティ】で、そこの楽しい味を知ってきたからだなぁと気付きました。自分は「濃ゆいメンバー」までは行かなかったかもしれないけど、有能なメンバーたちから多方向に刺激をもらうことが大好きでした。特定の少ない人からではない、という「ねっとりした閉鎖的な人付き合いではない」ところも、また良かった。彼らとの関わりが自分を成長させてくれることに、充実感や幸福感を持っていました。
対して、その職場を抜けて以降に得てきたコミュニティは、大小あるけど【うすいコミュニティ】でした。どちらかというと、自分がリーダーになって引っ張らないといけなかったり、共通項に対して情熱というほどのものをまず自分が持てなかったり・・・。
リーダーになったことで成長できた部分もあったけれど、やっぱり、ビビるぐらいデキる人たちとつるみたい(勝手を言うと、そういう人たちに見捨てられないで育ててもらいたい)。
大小の【うすいコミュニティ】に含まれた結果、自分はメンバーや環境をどんどん心の中で見下しながらがっかりしていくという、ダークサイドへ堕ちてしまっていたのでした。
後編では、最近読んだ本に絡めつつ、自分なりの解決策や、コミュニティの中で発揮する「最強のスキル」、それを活かしたコミュニティ内での在り方などについて考えます。
ひとりめがだいぶ大きくなっちゃったんで、二児の母です、という自己紹介もうやめようかな。a.k.a.二児の母です。
ショートの髪にはオイルとワックスを手のひらで混ぜたものをこすりつけていて、
「これは、地元の長年お世話になっている美容師Aさんが教えてくれたやつ」と毎回覚えているのに、今朝に限って、はっとしました。
たったひとりという身体で産み落とされて、死ぬまで誰かと物理的に融合することは、決してない。
家族はいるけれど、ずっと誰かと一緒にくっついて生きることはできない。
Aさんとだって、遠く離れているし、お店に伺うとき以外のやりとりは一切ない。
けれど、わたしの暮らしの中にはAさんの技術が溶け込んでいる。
遠い昔にいただいたガラスペンで絵を描き、先生から教わったインクにそれを浸す。
毎週1度むすめの髪をシニヨンにするときのピンの止め方は、引っ越していってしまったママ友が教えてくれたやつだし、
先日ギャラリーで知り合ったかたが教えてくれた材料を加えて、これからはチャイを作るだろう。
わたしの暮らしを組み立てているのは、大切だと思った人たちとの記憶。
少しだけ、ほっと息を吐く。