ママちゃんは最強漬け。

子どもの発達特性や不登校などの課題に寄り添うママの備忘録

幸福度とコミュニティ【後編】

1つ前からの続きです。

 

自分が【濃くて大きいコミュニティ】ずき・・・というか中毒で、現状は【うすめのコミュニティ】にしか含まれていないことが、暮らしをつまらなく感じさせていることが分かってきました。

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コミュニティを自分から増やしにいく

ではどうしたらいいか。

よく考えると、気に入っていた【濃くて大きいコミュニティ】には、入社試験を受けたりサークル加入申し込みをしたりして、つまり自分から動いて加わったのです。対して、気に入っていない【うすめのコミュニティ】には、ほぼ受動的に組み込まれたという経緯の差があります。

ということは、よさげなコミュニティを自分から動いて探して、加わりにいけばいいんじゃないですか。

 

「定年退職後、おとうさんがいきなり趣味探しを始める」問題を他人事にしてきたけど、あれと同じですね。おとうさん今さら一体なにをトチ狂ってんのとか思ってきたけど、あれは凄く理にかなっているんじゃないですかね。大変申し訳ありませんでした。

仕事というコミュニティでは自分がそこのメンバーではいられなくなった・いづらい気持ちになった。そこで、自分からもっと頻繁に関わりあえそうなコミュニティだとか、新しいコミュニティの軸(そば打ちなど)を開拓しているわけです。おとうさん頭いいし、改めて趣味って大切だなぁ~という裏付けになったと思います。

 

実際に自分がコミュニティを様子見しに出掛けていって分かってきたこととして、濃ゆいメンバーばかりのコミュニティやうすいメンバーばかりのコミュニティってあまりなかったです。こういう感じで、濃ゆい人とうすい人が混在していることが多い。

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関わるコミュニティを精査しつつ、気が合う人を少しずつ発見し増やしていくことで、暮らしがおもしろくなっていく可能性が見えてきました。

また、人間関係というものは良い意味でも予測がつかなくて、濃ゆい人を探していたつもりが意外と新しく出会ったうすい人のほうが居心地よかったりとか、手伝い程度に来ていたうすいメンバーが話してみたらとてもいい人でSNSで繋がったとか、嬉しいハプニングも出てきました。

どのコミュニティでもいけるスキル

今回、そのコミュニティのもつ共通項(PTA活動とか)に対してアグレッシブかどうかという観点でメンバーのことを「濃ゆい」「うすい」の2つに分類したのですが、その観点以上に、折角みつけたコミュニティを充分に楽しむにあたっての大切なスキルがあることに気付きました。

それはやっぱり、つまるところ、人柄です。

(どうも最近の記事ではこの結論に達してばかりだなぁ)

自分で探し求めたコミュニティに加わっていくんだという話をしてはいますが、なんかフツーのこと話してるだけなんだけど落ち着く人・たのしい人って、逆にもう、どんなコミュニティからもウェルカムされるでしょうね。

「快適にコミュニティを楽しめる人柄」とは、メンバーに対して誠実であることではないか、そして誠実さとは、相手と自分を対等にみるということではないかとわたしは考えています。具体的には、それはこんな態度として現れると思っています。

  • 相手の興味ごとに配慮しながら、話ができる
  • 相手を応援するスタンスをとっている
  • 同調してくれるけど、軽くない(なんでもすぐ「それわかる~!」とは言わない)
  • うなずきが、せわしくなくて、落ち着いたペースを持っている
  • 小さなことを手助けしてくれる
  • 人を褒めることにハードルを感じていない
  • 小さくて温かい(おいしい)差し入れものを用意してきている

 

そういえば、人間関係と幸福度とのからみについては、先日読んだ本

にも書かれています。稼ぐための話をするにあたって、人生をよりよくするために必要なものは「収入」のほかに「時間」「人間関係」で、この3つのバランスを考えて行動すること。

今回、「人間関係」というポイントをどう上げていくかについて、コミュニティという観点から解決案をまとめられたかなと思っています。

 

今回初めて、前編後編にわけて長いこと書きました。自分はほんとうに長年、暮らしがつまんないことについて悩み続けてきて、いろんな人との関わり合いによって初めて「コミュニティ」という観点を持つことができ、この悩みの根っこが明らかになってきた気がします。

自分がありのまま以上のなんか凄い人にならないと、周りは面白くならなくてだめなのかもしれない、と焦りながら生きてきて、とてもしんどかった。一人で悩んでいて何も解決しない、まさにそういう状況でした。

最初の子育てが本当にうまくいかなくてそれだけで一日終わっちゃうとか事情もあったけど、もっと早く、面白い場所を見つけに自分から歩きだせばよかった。「自分に合うコミュニティを持つ」という発想が、同じように悩んでいる誰かのお役に立てれば、とても嬉しく思います。

幸福度とコミュニティ【前編】

絵作品を作りながら、母業をやっています。きょうは秋雨、傘をさしながら。

暮らしがつまんない=コミュニティの問題かも

社会人ほやほやの頃はIT系に勤めていました。それから約20年経ち(!)、先日、自分の身内とその先輩方が同じ会社へ転職。彼らの部署はバラバラで滅多に会うこともないけれど、わたし+身内+先輩方で、ノリで集まってみることに。

すると、それぞれの今やっていることの話や、これからのチャレンジの話がスパーク。かるい相談から部署を超えて連携しようって話に発展したり、会社外の自分が聞いていてもひじょうに面白かったのです。話を聞きながら、

「人と人が出会うって、まるで化学変化だなあ!」

と感じていました。

 

ご縁あって、コミュニティビルダーという新しいおしごとをしている方々の活動をよく目にしています。ずっと前にトークイベントを拝聴にいったとき、フリータイムで他の拝聴者の方々が名刺を交換しまくっていて、

「こうして傍観していると、皆さん、つながりを求めていますね~」
とコミュニティビルダーはわたしの横で満足げに語りました。イベントをきっかけに色んなつながりを作るのが、彼らのお仕事の醍醐味のようです。

このときは、ん~そうですか、としか言わず、自分も「つながりを求めている」とはあまり考えていなかったのでした。

 

しかし、遡って何年も前から、暮らしも職場もだいぶつまんないという悩みを持ち続けていまして。

 

上に書いたIT系の人たちは、あぁ、現在の自分とは離れたコミュニティ(会社)にいるんだなぁ、とひとつの輪を俯瞰しているように見えてきました。

そして、1コミュニティの中にも複数のコミュニティ(部署)があり、それがつながったら新しいことが生まれる現場を、目の当たりにしたことから・・・

 

自分の暮らしがつまんない理由は、自分が今いるコミュニティ(つながり)に満足できていないからだ。さらに言うと、好きなコミュニティと現状のコミュニティにギャップがあるからだっ!と急にひらめきました。

人に性格があるように、コミュニティにも「濃さ」「大きさ」に応じて性格があるんじゃないですかね。勝手にコミュニティの分類や性格の可視化をしてみたら楽しくなってきたので、以下にまとめてみることにします。

4つのタイプのコミュニティ

ここでいうコミュニティとは、組織あるいはひとつのテーマ(趣味ごとetc.)といったひとつの共通項のもとに集まった人たちのグループ、という感じです。

若干極端かもしれませんが、経験から「メンバーが濃ゆいかどうか」「人数が多いかどうか」の2指標をもとに、コミュニティは4タイプに分けられるように思います。

濃ゆいメンバー とは、

  • マニアック
  • エネルギッシュ
  • スキルが高い

といった、そのコミュニティを活性化させるようなアクティブな性質を持っていること、と定義してみます。うすいメンバー はその逆で、「静的に、ただのんびりとそこにいる」感じ。

なお、以下の各コミュニティに優劣はありません。ただ、それぞれにそういう性格があるというだけです。

 

【うすくてちいさいコミュニティ】

 

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お互いがゆる~くしか繋がっておらず、人が少なめ。

めちゃくちゃ盛り上がるというよりはのんびりムード。茶飲み友達のよう。集まろう、っていうモチベーションが低い。存続させようという熱はなく、なんとなく集う。それがラク、という嗜好もある。

 

【濃くてちいさいコミュニティ】

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人は少ないが、メンバーが個性的。狭くて深い付き合い。自分の哲学とか語りだす。

一人抜けただけでも雰囲気がけっこう変わる。ほんの少し気が合わないだけでめんどくさい感じになる。

 

【うすくて大きいコミュニティ】

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深い付き合いではないけど、組織としてデカい。忘年会で近くの席になったメンバーとは、まぁまぁ共通事項の話題をしゃべれるかな、ぐらい。それ以外のプライベートにまであまり踏み込まない。二次会にまで行かないでさっぱり解散する。

 

【濃くて大きいコミュニティ】

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 各メンバーが共通事項に情熱をもっていて、集まるとあっちこっちで話に花が咲き、めっっちゃくちゃうるさい宴会になる。終始テンションが高くて、集まったあとは充実感も疲労感もある。ついていけなくて、集まりから離脱したり休む人もけっこう出てくる。AKB。

 

職場やプライベートを含めると、ひとりの人間はいくつものコミュニティに交わりながら暮らしていることもよくあります。この4タイプ中、自分がどのコミュニティが好きなのかを考え、現在交わっているコミュニティに当てはめてみると、ギャップが見えてくるひともいるのではないでしょうか。

 

自分を例にして、なんで暮らしも職場もつまんないと感じているかというと、

学生時代のサークルや最初のIT職場が【濃くて大きいコミュニティ】で、そこの楽しい味を知ってきたからだなぁと気付きました。自分は「濃ゆいメンバー」までは行かなかったかもしれないけど、有能なメンバーたちから多方向に刺激をもらうことが大好きでした。特定の少ない人からではない、という「ねっとりした閉鎖的な人付き合いではない」ところも、また良かった。彼らとの関わりが自分を成長させてくれることに、充実感や幸福感を持っていました。

 対して、その職場を抜けて以降に得てきたコミュニティは、大小あるけど【うすいコミュニティ】でした。どちらかというと、自分がリーダーになって引っ張らないといけなかったり、共通項に対して情熱というほどのものをまず自分が持てなかったり・・・。

リーダーになったことで成長できた部分もあったけれど、やっぱり、ビビるぐらいデキる人たちとつるみたい(勝手を言うと、そういう人たちに見捨てられないで育ててもらいたい)。

大小の【うすいコミュニティ】に含まれた結果、自分はメンバーや環境をどんどん心の中で見下しながらがっかりしていくという、ダークサイドへ堕ちてしまっていたのでした。

 

後編では、最近読んだ本に絡めつつ、自分なりの解決策や、コミュニティの中で発揮する「最強のスキル」、それを活かしたコミュニティ内での在り方などについて考えます。

 

この身体はひとつなれども

ひとりめがだいぶ大きくなっちゃったんで、二児の母です、という自己紹介もうやめようかな。a.k.a.二児の母です。

 

ショートの髪にはオイルとワックスを手のひらで混ぜたものをこすりつけていて、

「これは、地元の長年お世話になっている美容師Aさんが教えてくれたやつ」と毎回覚えているのに、今朝に限って、はっとしました。

 

たったひとりという身体で産み落とされて、死ぬまで誰かと物理的に融合することは、決してない。

家族はいるけれど、ずっと誰かと一緒にくっついて生きることはできない。

 

Aさんとだって、遠く離れているし、お店に伺うとき以外のやりとりは一切ない。

けれど、わたしの暮らしの中にはAさんの技術が溶け込んでいる。

 

遠い昔にいただいたガラスペンで絵を描き、先生から教わったインクにそれを浸す。

毎週1度むすめの髪をシニヨンにするときのピンの止め方は、引っ越していってしまったママ友が教えてくれたやつだし、

先日ギャラリーで知り合ったかたが教えてくれた材料を加えて、これからはチャイを作るだろう。

 

わたしの暮らしを組み立てているのは、大切だと思った人たちとの記憶。

少しだけ、ほっと息を吐く。

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にせドMなしくじり先生の愛 - 「数字」が読めると年収がアップするって本当ですか

 今回は表題の本に関するレビューです、二児の母です。

「数字」が読めると年収がアップするって本当ですか? 決算書オンチのための「会社の数字」が肌感覚でわかる本

本業(会社員)のほかに画業をやっていきたい思いが、最近固まりました。

なので、自腹切り切り素材を買い込んで製作をしたり、アートの値段を見て歩いているうちに、アートの値段の付け方について調べが進んでいたところ。

作品の販売にあたっては、製作コストや売り方 - 例えばネット販売なのか、対面販売として関わる業者さんがいるのか(画商さん、作品を展示してくれるギャラリーさんなど)、などなど・・・けっこう様々な関係性から生じる金銭のことを、俯瞰的に理解したうえで売りたいものの価格設定をすべきだな、と結論に至っていた折だったのでした。

 大なり小なりものづくりをする人は、こういう考え方って当たり前なのかもしれません。

著者の前作 "「数字」が読めると本当に儲かるんですか?" と今回の第二作は、会計のごく基本的な用語をもとに、この考え方について「あってるよ」と背中を押してくれるような本です。

 

2作に共通した主張をざっくり言ってしまえば

"稼いで手元に来たお金がそのまま「儲け」、つまり自由に使えるお金になるわけじゃありません"

です。

なので、こんな風に展開されてきます。

◆かかったコストのことを差し引いてから、儲けを算出しよう

◆売上額=儲かった額、じゃないから手元に来たお金をパーッと使ったら(あとで納税分などの差し引きもあるから)死ぬよ

 

表紙には「会計」「決算書」といった言葉もあるしいくつか会計用語も出てきますが、「詳しいお金の計算話より前に、稼ぎに対してこういう考えかたを持っておくといいよ!」と、我々庶民の金銭感覚ベースを整えてくれるような読み物です。

アラウンド新卒にもフィットすることでしょう。そう遠くない未来に自分の子どもが就職活動をしそうなので、その前に読ませても良いなと思いました。

 

本としてのカルチャーショック

大概の本や映画は、主人公がひとつの決め台詞によって、かっこよく勝ちを取ったり、問題を解決するひらめきを暗示するものです。

が、この本の決め台詞「そうか!これか!」は一見とてもキラキラしていますが、主人公が思いっきり勘違いして失敗するフラグとして存在しています。ひでぇー!笑

 また、今作は「下部注記欄でツッコミが同時進行システム」が発動。自分はテーマが共通している前作を読んでおいたこともありますが、読者はほぼ会話で成立しているストーリーを追いつつ、裏の主役たち(アドバイザー)が言わんとすることをぶれずに頭に入れ続けることができます。

会話部分をまとめて出しておいてあとから解説する、という仕組みの本が常套ですが、これは画期的だなと思いました。

 

作者はドMなのかどうか問題

そして前作から今作前半までの部分で、わたしが共通して持った印象は・・・最も端的に言ってしまいますが「ドMなの?」です。

 (※少々のネタバレ)今作冒頭いきなり主人公の前に颯爽とタイムマシーン・カーが現れるのですが、それが、前作の主人公がまちがった経営で調子こいてたときに乗ってた車種(失敗経営の象徴)です。こっ、これはっ、と思いました。絶対乗ってはアカンやつでした。

前作では、コスト額 vs. 売上額の明確な事例を出すために、事業主としては若すぎて痛すぎる失敗談が赤裸々なほどにかみ砕いて語られることがメインです。自分の傷口(あるいは股間)を両手でグイグイ広げて見せてくる感に「勇者って、もしかしたら変態のことなのかもしれない」という想いさえ抱きました。

 しかし、「本の形としてまとめてくる」以上、世間を啓蒙する使命感を非常に持っているんだなぁということを、今作は特に強く感じます。

前半のややゆるテキストを装ったストーリー仕立てから、いきなり真顔になる会計解説ページ。それに続く極めて濃厚な「あとがき」。ふつう「あとがき」ってちょっとした謝辞ぐらいでサラッとしてるはずなんですけど、今作はここを読めば読書感想文が書けます。

このように、失敗談の先の世界がよくひらけていて、「俺みたいなやり方をするなよ!」や「お金に対して、こう考えてみるといいんだよ」っていう提示がよくよく書き込まれている。 

ロジックできちんと説明する=理解が深まる=愛。

愛=理解!!!!

 ドMは、痛い行為だろうが何だろうが、つまるところ自分のことしか考えていません。「あ"あ"あ"ぁ!激安販売してたら売上額はあがったのに貧乏になっちゃったよぉおおお!」という嘆きから最終的にはこの世の働く人たちへのエール(愛)に繋がった本作、ドMではありませんでした。残念です。

我々が磨き続けるべきもの

貯蓄をたっぷり持っていて誰にも騙されない環境要因がある人だとかプロ専業主婦(夫)はさておき、我々はどこかで必ず、お金を稼ぐために働きます。

先々や周囲についての考えがなく、目の前の目標だけを見て突進するような、短絡的かつ近視的な「がんばり」は、ひたすら自分が摩耗するだけで報われづらかったりして、 

 

「自分が本当に望んでいる人生や未来とは、どんなものなのか」 

 

けっきょくこの部分をよく磨きながら前に進んでいくしかないんだな、と。

で、おそらく悪いほうに悪いほうに自分を磨いていくのって(それはそれで難しいし)なかなかそういうお手本もねむたい眼こすりながら深夜徘徊でもしないと見当たらないだろうし、ストレスのない結果に結びつきづらいことでしょう。なので・・・

給料アップには、結果 と 周囲からの感謝 がセットになっていることが大事なのよ!

なにを本業とする場合であっても磨き続けておけば間違いないもの、それは

「人格」

に行きつくのかなぁと思います。(あと歯。)

難しくないところからでもそれは可能で、例えば天狗にならないとか、小さな約束でもちゃんと守るとか。歯磨き以上にローコストです。

それは会社から信頼される(給与アップに繋がる)という結果ももたらすし、繰り返せば、自分のいろいろな幸せに繋がる大きめの道でもあるから。

 

なんのトラブルもない平坦な道を歩んできたら、こういうところに深くうなずくことはなかったのかもしれない。 

わたし自身もふつうじゃ満足できなかったし、 お金のない子どもだったし、人間関係で失敗をするととてもつらいということを経験した。そんなつらい思いは自分自身に対してもう繰り返さないぞ、という覚悟を強くもつことで、ひいては周囲のためになるんなら、素晴らしいことじゃないかと思うのです。

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書籍リンク:

「数字」が読めると年収がアップするって本当ですか? 決算書オンチのための「会社の数字」が肌感覚でわかる本

 ちなみに前作書籍はこちら:

「数字」が読めると本当に儲かるんですか?

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今回のお題: 「どうしても言いたい!」

ヒップホップの歩き方

自分の中の化学変化を楽しみたい、二児の母です。

 

「稼ぐための仕事が今はあるけど、自分はこっちに行く」と強く意識して絵を描くようになったら、仕事中も絵の作業中も、聴いている音楽のジャンルを、ガラッと変えたくなりました。

耳からも新しい刺激を得たい。

apple music で、自分が今まであまり興味をもってこなかったジャンルを聴いてみたら、思いがけない音やリズムが出てきて、なかなか新鮮。いい感じです。

懐かしんでスチャダラパーを聴いてたら、繰り返しやサンプリングによるグルーヴの作り方とかラップにその感覚が強くあって、もっとかっこよくてハマれるミュージシャンはいないかな?と興味をもち始めた折。

 

あまりテレビをつけないのに、朝のNHKニュースで流れたケンドリック・ラマー(ピューリッツァー賞受賞)のインタビューと、代表曲「Alright」。

釘付けになりました。

ヒップホップミュージシャンに対しては「ガラが悪くてジャラジャラしたアクセサリーいっぱいの黒人のひとが、何かしらに対するディスりをぶちまけている」イメージを勝手に持っていたのですが、インタビュー時のときの「ラマーさん」・・・そう、さん付けをしないとこっちの気が済まないような静謐さ。アーバンなシンプル寄りのファッションも、とても良くて。

また、この曲のポジティブさやキャッチーな言葉のリズムが素直に、心地よかったのですよ。

 

よし!ヒップホップを掘って聴いてみよう!

でもさー、タワレコとかのヒップホップコーナーに行ってみたとしても「全部押し」じゃないですか。一体どれから聴いたらいいのか、全然わからないよ!

 

自分は(勤務先である和食料理店が近所なこともあって)ほぼ徒歩圏内しか出歩けない、忙しい暮らしをしているので、人間関係も非常に狭くて限られているのですが・・・

 

しょっちゅう会う和食料理人さんで「ヒップホップしか聴いてない」うんと詳しいひとが、奇跡的にいました!!

 

短時間ながらいろいろ教えてもらえたので、そのかたのしゃべりを(アメリカの都市配置など自分がすっかり忘れてることだらけなこともあって・・・)まんま以下に載せておきます。

どれから聴いたらいいのか問題

ヒップホップと一口にいっても、例えば、LAとNYのヒップホップは全然違うからね。

ヒップホップミュージックが多出している都市は、

東の ニューヨーク(発祥だったり中心的)、フロリダ、

ニューオーリンズデトロイト

南(サウス)は メンフィス、

西の ロサンゼルス、マイアミ。とかね。

 

※地域の話を解説している参考サイト

[映画] マイクで成り上がるヒップホップドリーム『ハッスル&フロウ』

 

ちなみにNYの中ひとつをとっても活発なエリアが5つあって、それぞれ特色がある。

それぞれのエリアの黒人コミュニティも複数あるから、アフリカ系とプエルトリコ系でもまた特色が異なる。ちなみに後者は、スペイン語が入ってきて面白いところがあったりする。

最初の大きなムーブメントは、ざっくり言うと西の2パック・東のノトーリアスB.I.G(ビギー)の抗争によるもの。いがみあったけど、(若くして銃撃に逢う)最後の頃には一緒に曲を作ったりもしているんですよ。

 

(うーん、じゃあその二人のから聴いてみようかな・・・)

 (地域性がそんなにある音楽ジャンルだとは、知りませんでした。wikiなどでちょっと歴史を紐解けたりするので、興味をもてたエリアから攻めてもいいかもしれませんね。)

 

最近だと、レーベルというか集団として活動しているニューヨークのASAP(エイサップ)も面白いですよ。

 

英語だからわかんない問題

(メッセージ性の高い歌詞だから、それをわかった上で楽曲を楽しみたいし、そのほうが曲を好きになると思う。だけど残念ながら、聴いてすぐ内容が分かるほどの英語スキルがないんです!)

 

トラックありき、つまりその曲のリズムや音が好きかどうかで聴いてみればいいんじゃないですかね。

でもまあ、みんなそんな大したことは言ってないです(笑)。だいたいのヒップホップミュージシャンは、友達思いのいいヤツ。(笑)

 

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あまりにも幅広そうなジャンルなのでとっかかりが見えなかったけど、いくつかシンプルな指針を示してもらえて何よりでした。
こんどの秋からは大き目のフードトレーナーをかぶっちゃうかもしんない。いかしたヘッドフォンをしながらスーパーにおつかいに行きたい。こんな感じで。

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お題「最近気になったニュース」

オフィスを魔窟にしていい人の条件

小さな事務所で最善を尽くす、二児の母です。

 

きょうはいつもの事務所仕事が片付いたので、ひとり、物理的な「片付け」作業をやっていました。収納場所の割に小さすぎる箱へ山積みに備品が入っていたりして、そこを掘ってみたところ、安いからまぁいっかと自腹で買っていた「ホチキスの針」などが発掘されました。100円分ほど傷つきました。

 

「片付いていない」≒「金銭的に損をする」

 

えらい人や能力の高い技術者ほど、デスクはめっちゃくちゃにモノ積んでいる「魔窟」を名乗りがちで、「俺はこれで、どこに何があるか把握できるんだー!」と豪語しているもんですよね。それでまぁだいたいどうにかなってはいるようだけれど、

ちょっとした損をなんとも思わないような精神構造、あるいはそういう暮らし(お金に困っていない またはおかね以上に優先していることがある)をしているんなら、それでええけどな。と思います。

たとえば書類の発掘遅れで小さな損をして、後悔をずっと引きずるようなわれわれ庶民においては、ちょっと片付けといて、既に持っているものぐらいは1ビューで把握できるようにしといたほうがいいんじゃないですかね。

 

自分は潔癖症でもなんでもなくて。素人ながら、空間デザインとか人の導線にずっと興味があるのです。

「毎日やるこのアクション、モノをここに置くだけでこんなに楽に済むとしたら、すっごく便利じゃん!」

というライフハックを見つけることに、非常にお得感をもつタイプなのです。

「モノをどこに置くと存在が分かりやすいか、使いやすいか」を考えながらモノを配置したり、ラベルを貼っていったり、考え無しに放置されたモノの存在理由をかみ砕いて処分していくのが楽しい。

周囲の環境に対して納得したい、と言えるかもしれません。

 

「片付いていない」≒「思考停止」

 

と見ていることも、多いです。

自分は思考停止している人を下に見るところがあって、よりよいソリューション(片付けや配置)を提供することで無意識にドヤっているのかもな、と振り返るようになりました。素直に魔窟積んで他のことに取り組んでいるひとよりも、性格悪そうですね。

発達障害をもつうちの子は勉強に凄く集中する人で、そしてデスクは案の定魔窟の初歩であるカオス状態。その散らかりは、おそらく「目に見えていない」。

作業スペースとそのとき取り組む勉強道具さえ手元にあれば、困らずに勉強を済ませることができて勉強部屋から出てくるので・・・

デスク上のカオスをこの子の目が客観的に捉える時間は、日に1秒あるかないかぐらいなのかもしれない。

そういう特性の人も居るのだなぁ、ということは分かりました。

 

そういえば、最近すごく好きな写真。

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そもそも、自分のところに来たモノを限界のあるスペースへどうにか置いていこうというせせこましい生活をしているからこそ、上記のような発想や悩みが生まれる。

 

このおいちゃんみたいに、広いところで、1つ1つのメインなモノ(ここでは作品)に対して必要なものをまとめて置いておけるのが理想だなぁ。

ついでに言うと、このおいちゃんのテラコッタカラーをしたシャツと短パンのセットアップがすごく良いなと思っていて、探してみてもさすがに見つからないので、ユザワヤで生地を買ったり染めたりして自作するしかないのかなと憂鬱になっています。

まぁ、ピカソなんですけどね。

励まし励まされる人生を歩むために

仕事と家と絵と空手を回して生きている、二児の母です。(お手玉ピエロみたい)

 

学校PTAダブル役員&発達障害の子の受験、という巨大な肩の荷がおりてから、今年は「同じぐらい、個人的に色々動いてみよう」と考えて動いてきた年でした。

自分のやりたいことを突き詰めていき、やりたいことが見えて取り組むようになって幸せになったはずが、特に感じるようになったのは、

 

刺さるような孤独。

 

家族もいるし、身近には親戚や知り合いの方々もいるんだけど、(自分が絵を描くようになったからその題材にもまつわって)感動するもの、美しいと感じるものについて話し合い共感ができる人に激しく飢えている、ということが分かってきました。そもそもこれってコミュニケーションなので、一方的ではなく、双方向に満足の行くかたちでないと解決しない。

すぐにそれが実現できる当ては見えてこないけど、焦るのは青い実をかじるようなもので、多分よろしくない。自分がジワジワとやれることとしては以下の2つぐらいかなぁと思って、動いてきています。

【1】地元のお店をほのかに応援する

そういう話題をダイレクトに話せる場所ではないものの、心の拠り所になるような美味しいものやサービスを提供してくれるお店を、いくつか平行して発見し懇意にし始めたのも、今年に入ってからです。

 

おかねもかかるんで頻繁に行くわけじゃないんですが、人として素晴らしいお店のかたが自分のことを覚えてくださっているだけでも、気持ちがとても温かくなるもんなのです。人当たりと美味しさと栄養のミックスジュースで、元気をもらって先へ進める。

そんなところで、常連顔をしたり(そこまで常連じゃないし)、面と向かって「応援してます!」とか言うほど、自分、ギラついたラテン顔じゃないんですよ。さっぱりしつつ、ほのかに応援したい。

 

その手段として最適だと思ったのが、googleマップのローカルガイドになること。

いいお店でも、googleマップでそこを調べたときに、意外とクチコミが少なくて容貌が掴めなかったりするんです。お店のいいところや美味しいメニューについて、匿名で詳しく書いて投稿しています。お気に入りのお店が繁盛しすぎたら入れなくなるから、本当は、やだけどね。笑

【2】ファン先と、自分のファンを作っていく

絵を描き始めてから、最初に入ったコミュニティはインク画のSNSグループで、今年はインスタもかなり活用するようになりました。

勿論前者のグループでも投稿やコメントをしあって楽しませてもらっているんですが、インスタのパイったらなんかもう、無限。自分が絵をアップしたときに世界から人が見に来てイイネしていってくれる喜びと、世の様々なアーティストの作品や美しい写真をジャンルの垣根無く観られることにメリットを感じています。ぜんぜん知らない外国のかたなのに、毎日すごい絵を描いていて、わたしの絵にも必ずイイネをつけていってくれるアカウントが最近いらして、それだけでもほぼ毎日が感動です。笑

 

最近新しく取り組んでいるのが、インスタでいいなあと思ったよそ様の写真などを自分で絵(インク画)に変換して、インスタへアップする作業です。

「これは・・・とてもいい!」と思ったものにしかそれはやらないので、たいてい勢いでワーッと絵にしてしまうんですけど、やっちまった後はすぐ、絵の元になったアカウントに報告しています。押しつけがましいことは一切抜きにして、「あなたの作品がとても良かったので、変換しました」と、とにかくシンプルに報告する。

それがご縁で、あちら様がフォローしてくださったり(恐縮)、何よりも喜んでくださるのがとても嬉しい。

(勿論、わたしが販売行為をしていない、つまり絵の元になった作品に損得が絡んでこないアマチュアだからこそ、問題が無いわけですが)

 

先日は、国内のちょいと一癖ある顔が得意なぬいぐるみ作家さんのベアが凄く気に入って、絵変換行為をやりました。あんまり気に入ったんで思わず額装までやって事後報告したところ、あちら様も喜びのコメントをくださり、しかも近日中にイベントで出品なさることが分かったので、ご挨拶と作品ガン見がてら自分が作った額装画をお見せしてこようと思っています。

https://www.instagram.com/p/BkRMUJ_BQG7/

一般的な人生時間のだいたい半分を済ませたから、わたしにはもう、躊躇している時間なんて無いんです。

額装画を気に入っていただけたら、そもそもあちらさんの作品を元にしたものなんで、差し上げてきても構わない。

 

お会いできたら、まず第一にしたい話は「あなたの作るもののファンです」ということ。

そして二番目には、「わたしはあなたの佳きものをこういうものに変換できますけど、よかったら一緒に何かをやりませんか」という話がしたい。もしかしたらあなたも、わたしがしたいと思っている話に飢えている人かもしれないから。

そのぐらいのレベルを保つべく、きょうもなんかを作ったり考えたりして生きていこうと思うのです。

 

作りたいものに向かって突進している間、時間は飛び、孤独という概念は消え失せる。

 

今週のお題「2018年上半期」